震災があってから考えた「シンプル」の意味

震災がおきて…

2011年に起きた東日本大震災。
あの震災が起きてから、「シンプルに生きることの大切さ」をますます考える様になりました。
同じ様に考えている人、きっと多いと思います。

知人の話

私の知人が当時宮城にいたのですが、その友人が「震災が起きてから、インテリアに凝ろうなんてまったく思えなくなった」と言っていました。
友人は、当時宮城の海沿いに住んでいましたが、幸いなことに津波の被害は免れたそうです。
でも、あまりにも揺れが酷かったので自宅の食器はすべて割れるし、棚が壊れるなど大変な被害があったとか。
彼女はもともと食器を集めることが趣味だったのですが、残念ながらそれもすべて割れてしまい・・・。
もちろん、彼女は自分が集めた食器がこんな風に割れたことにもショックを受けていますが、一番は「食器が割れることで、こんなに大変なんだ」ということを知ったことだといっていました。
お気に入りの花瓶とか、皿とか、そういうものが床に落ちて散々割れたせいで、彼女の家は本当に大変だった様です。
彼女は既に新しい生活を始めていますが、今は「家の中にできるだけ物を置かない」というシンプル生活をしていると言っていました。それだけ、彼女は大変な思いをしたのでしょう。
震災をきっかけに、人生観まで変わったと彼女は言います。
以前は、できるだけいいものを集めて、それに囲まれた生活をすることが彼女の楽しみだったといいます。
だけど今は、「できるだけシンプルに生活したい」と考える様になっているとか。本当に必要なものだけ、あればいいという考えになったのは、間違いなく震災のせいです。
震災は、人の暮らしに本当に大きな影響を与えたのだなと思いました。

必要なものだけを持つ生活

私も、彼女の体験からさらに「シンプル生活を極めたい」と思うようになりました。
本当に必要なものとそうでないものをわける、そして「本当に必要なものだけを持つ」って、私はとっても大事なことなんじゃないのかなあと思います。
もちろん、「何も持たない」ということがいいのではありません。
厳選した「自分にとって大切なもの」の中で生活をするということが、とても大切だと私は思うのです。
皆さんはどう思いますか?

あの東日本大震災が人に与えた影響って、私は本当に大きなものだったんだな・・・と思うばかりです。
あの悲劇を忘れないような、あの震災から教訓を得た生き方をしたいというのは、恐らく日本人みんなに共通する思いなのではないかな・・・と思っているところです。